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私の視点:私は毎日恐怖の中で生きてきたーボコハラムの人質となって

Weekly News翻訳〈6月14日〉

私の視点:私は毎日恐怖の中で生きてきた


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バゲ ジダはボコ・ハラムの人質として3年間生活してきた。その間の苦労にもかかわらず、彼女はカメルーンの最北のモラ地方で、家族をたった一人で養っている。彼女は逆境をはね返し、彼女の楽天主義は他人に伝播する。ジダのような自分を奮い立たせる女性はボコ・ハラムの危機によって引き裂かれたコミュニティに回復力を培う中心的立場にいた。

私は夫をナイジェリアのマイドゥグリで亡くした。彼らは私の目の前で夫を打ち首にした。私はショックで一時的に20日間、視力を失った。その後彼らは私のところに戻ってきて、お金をせがんだ。私は与えるお金がなかったので、人質にされた。私は子どものうち4歳だった息子だけを連れてその村を離れた。彼らは女性たちにブルカで顔を覆わせ、コーランを読ませた。彼らはまず男性グループを並ばせ、そのあと女性をそこに連れて行き、結婚する男性を選ばせた。彼らは3度まで選ぶ機会を与え、もし3度目に選ばないと、その女性を虐殺した。私は2回まで拒否したが、3回目に受け入れた。

私は毎日恐怖の中で生活し、ボコ・ハラムは3年間私を人質にした。

ある日、私たちはヘリコプターの音を聞いた。それは軍のヘリだった。ボコ・ハラム過激派は何人かの女性と子どもを連れ去り、逃げた。私は7人と人たちと一緒に彼らから逃れ、軍隊が私たちを見つけてくれた。

私は難民キャンプでしばらく過ごし、そのあと女性に対する暴力撲滅協会(ALVF)スタッフが私を女性センターに連れて行ってくれた。センターでは私の出生証明書や国民IDカードの取得を助けてくれた。私はセンターで縫製を習い、そのためにミシンも提供された。その事は、私が収入を得るきっかけになり、その後、難民キャンプを離れ、私と子どものための家を借りた。

現在、私は家を借り、食料を買うのに十分なお金を得ているが、貯金をしたり、また毎月どれくらいの収入が得られるかを予想するのは難しい。お金が入ると、食品のストックにあてている。

UN Womenがより多くの女性たちが私のように自立できるよう、継続的に支援して欲しい。そして私たちのためにここに家を建ててくれたら、素晴らしいと思う。家の賃貸料はここでは安くない。

 

27歳でバゲ ジダは彼女の目の前でご主人が殺されたり、ボコ・はラムから逃げる途中で彼女の息子が死んだりと、一生分の苦悩を生き抜いた。彼女はカメルーンの難民キャンプで生き残った子ども達と再会し、家族生活を取り戻した。国連中央緊急事態対応基金による資金援助を基に、その地域のパートナーであるAVLFが実施しているUN Womenプログラムは、モコロ、モラ、コロファタ、モゾゴ、マカリの地域で、女性の自立センターを援助している。そこで女性は心理的サポートを得ると同時に、新たなスキルを学び、小ビジネスのためのスタートアップキットなどを得ている。 

〈翻訳 岩城淳子〉