ウクライナの難民女性は戦争のトラウマや別れの苦しみに耐えています

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2022年3月22日

2022年3月8日


ナタリアと娘のエレナ 写真:Nadejda Roscovanu, UN Women Moldova

2月24日、オデッサで友人同士のクリスティーナ、ナタリア、イリーナはロシアの空襲警報で目を覚ましました。ロシアの軍事攻撃が始まったのです。

「避難する時の危険、そのストレス、交通渋滞はひどいものでした。ことに軍の部隊のそばの状況は、筆舌に尽くしがたいです。チェックポイントでは、砂の詰まった土嚢やタンクを目にして怖い思いをしました。パニック状態だったのでどうやってモルドバにたどり着いたのか思い出せません」と3歳と18歳の娘を連れてウクライナを離れたクリスティーナ、41歳は述べています。「国境を越えてからは、ボランティアの人たちが食料や交通手段を提供してくれて、とてもありがたかったです。モルドバの人達に心から感謝しています」

ナタリアは、この3月で40歳を迎えましたが、今はお祝いどころではありません。彼女は、オデッサではクリニックの管理業務をしていました。「仕事も患者さんも好きで、すべてうまくいっていました。今となってはその価値を改めて認識しています。オデッサのように美しくて豊かな都市を捨て、全てをあきらめるのはとても難しかったです。私はそこで生まれ育っているのですから。なぜオデッサが攻撃されたのか... 残してきた夫や母を想います。早くこの悪夢が終わって家に帰りたいです。」


イリーナと息子のマーカー 写真:Nadejda Roscovanu, UN Women Moldova

イリーナ、24歳は、こう述べています。「軍事攻撃が始まってから、近所の家の地下室をシェルター代わりに使わせてもらっていました。空襲を知らせるサイレンが鳴るたび、ほぼ30分おきに4歳と6歳の息子を連れてシェルターに逃げ込みました。オデッサは、比較的穏やかでしたが、それでも状況は厳しかったです。おしゃべりをしているときにも爆発音が聞こえました。すると私たちは、地下に逃げ込み、子どもたちを毛布でくるみ、震えていました。そして2月27日の夜、オデッサ沖に軍艦が現れたことを報道で知り、子どもたちの安全のため逃げることにしました。彼らになぜ地下室で寝なくてはならないのか、なぜ今まで聞いたこともない爆発音がするのかを説明するのは難しかったです」

ナタリアは、17歳と4歳半の娘と国を後にしました。母親と夫は残ったので、毎日無事でいるか心配しています。「夫のそばにいたいです。抱き合って別れましたが、またいつ会えるかもわかりません。本当につらいです」と彼女は言っています。

イリーナの弟たちや家族のほとんどはオデッサに残っています。「連絡は取り合っていて、毎日話しています。でも電話がつながらないと心配になります。最悪の事態を想像してしまうからです」と彼女は言っています。

クリスティーナは、避難するときは最低限のものしか持ち出せませんでした。 彼女は「子どもや自分自身の洋服もほとんど持ってこられませんでした。スニーカーで避難したのですが、ここは雪が降っています」と言っています。

一日は毎朝、愛する人たちとメッセージを交わすことから始まります。みなどこにいて、無事でいるかを確かめるのです。夜もよく眠れません。睡眠はニュースをチェックするのでしばしば妨げられます。

「私達はただ平和を愛しているだけなのに、この生活は全く異常です。戦争のことなど祖父母から聞いたことがあるだけです。私たちは21世紀の世界に生きているのですよ。勉強をして、前に進んでいました。でも今はただ逃げているだけです」とナタリア言っています。

国際女性デーを迎えて、ナタリア、クリスティーナ、イリーナは平和が訪れて故郷に帰れる日が来ることを心から願っています。すべてのことが変わってしまいました。でもこの困難の中でもウクライナの女性達に呼びかけています。勇気をもってレジリエンスを維持していこうと…

ウクライナへの軍事攻撃が始まってから、150万人以上(プレスリリース発表時)が近隣諸国に逃げましたが、その多くは女性と子どもでした。モルドバ共和国は24万人以上の難民に安全な避難場所を提供してくれましたが、難民の数は日ごとに増えています。

現在、UN Womenは、IOM(国際移住機関)や現地のパートナーと協力して、モルドバで人道支援に関するニーズのジェンダー評価を行っています。目的は人道支援にジェンダーデータや女性の声を反映させ、女性・少女のニーズに最大限に応えるためです。

カテゴリ: ニュース , 国連ウィメン日本協会

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