【15のストーリーNo.5】アフガニスタンの女性たちは今も闘っています

2025年7月、UN Women(国連女性機関)は設立から15周年を迎えました。この節目を記念して、世界の女性たちのリアルな声と行動を伝える15のストーリーをお届けします。女性たちの底知れない強さと希望の物語は、この時代を共に生きる私たちにもインスピレーションを与えます。
アフガニスタンの女性たちは今も闘っています
~大丈夫、きっとまたその日は来るから~
第5話は、2021年8月にタリバンが政権を掌握して4年、女性の権利がますます奪われているアフガニスタンから——。

■大学に入学したとたんに、“女子は大学禁止”?!
大学生活を送るはずだったアフガニスタンの女性、ファリバは、せっかく入学したまさにその時、大学禁止令が出たと言います。「こんな暗闇の中で、いったいどうやって希望を持ち続けたらいいの?時々私はそんな風に嘆いてしまいます。でも、大丈夫、この暗闇はすぐに終わる、きっとまた私たちが学校や仕事に戻れる日が来る、って自分に言い聞かせるんです。」
今からほんの4年前まで、アフガニスタンの女性は、法律上は大統領に立候補したり、大学に通ったり、スポーツをしたりすることができました。それが今ではすべて、できません。タリバンは80以上の法令を次々と出して女性から権利と自主性を奪っています。小学校を卒業したらそれ以降の教育は禁止、ほとんどの職業からの締め出し、公園やスポーツジムなどの公共の場への立ち入り禁止。移動の制限、厳しい服装規定…。女性たちは生活のあらゆる面で、あれもダメこれもダメと縛られています。

■仕事をする道は必ずどこかにある
それでもアフガニスタンの女性たちの決意と抵抗の炎は燃え続けています。土木技師として働くことを夢見ていた女性、アサールは、諦めるつもりはありません。「それがわずかであっても残された機会を最大限に生かすべき。困難から抜け出す道は必ずどこかにある」と言います。アサールは今できることは?と考え、衛生用品や化粧品を販売するオンラインストアを立ち上げました。ほぼ100%の制限がある中でも、ビジネスを運営し、人道支援従事者、ジャーナリスト、地域のリーダーとして働く方法を見つけ出している女性たちがここにいます。
■UN Womenもミッションを懸けて
UN Womenもミッションを懸けてさらに取り組みを強化します。UN Womenは設立以来、アフガニスタンの女性たちと揺るぎない連帯を保ってきたのですから。
アフガニスタンにおける女性運動の歴史は長く、誇り高いものです。1919年には、アフガニスタンの女性が選挙権を獲得しました。これはアメリカよりも1年早く、日本など他の国より数十年も前のことです。2000年代には、旧タリバン政権の崩壊を受けて、アフガニスタンは憲法に女性の権利を明記しました。UN Womenは、女性のための省庁の発展や、新たに女性が公務員、議会、司法に進出することを支援してきました。

◆女性運動を再建するために
UN Womenは以前から多くの現地女性団体と協働しており、タリバン支配後はさらに力を入れ、2024年には200以上の女性団体と提携しています。クンドゥズ州で女性のリーダーシップ促進の団体を率いてきた女性、メルガンは、資金とスタッフを失って活動停止を余儀なくされていました。でも2022年にUN Womenの資金援助を受けて活動を再開、「私は遠く離れた村々に行き、女性の物語を集め、問題に耳を傾けます。これが彼女たちに希望を与え私にも希望を与えてくれるんです」と語ります。

◆地域社会から国連安保理の場へ
女性たちの声が公共の場からほとんど消えている今、UN Womenがどんな時もアフガニスタンにいて地域社会と深い結びつきを得ていることは、重要な意味を持ちます。アフガニスタンの34全ての州から女性たちが年に4回集まり、日常生活で直面している深刻な課題について話し合うことができているのは、そのおかげです。ここでの声が、国連の安全保障理事会での議論や国際メディアにも反映されています。
自分の人生を自分で決めたいだけなのです
「私の人生からは虹色が消えかかり、もうどんな色も塗ることができなくなりました」とアニータは口を開いてから、自分を励ますように「仲間の皆さん、人生のいい時も悪い時も希望を失ってはいけません。障害物の前で立ち止まってはいけないのです。」と言いました。
元ジャーナリストのリナはこう付け加えました。「女性は自分の人生を自分で決めたいだけなのです。家庭で、公の場で、政治の場で。教育を受けたい。当たり前の権利がほしい。」
注)勇気ある女性たちを紹介する「15のストーリー」ですが、第5話では身元を保護するために氏名を変更しています。引用と共に掲載している写真も言及されたストーリーや名前とは一致しません。