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2018年12月2日

2018/05/21

バングラデシュ難民キャンプで暮らすロヒンギャ女性が語る悲しみ、そして再起への願い

セヌ・アラは大勢のロヒンギャ難民と同じように、徒歩でコックスバザールにたどり着きました。
セヌと3人の姉妹はミャンマーのラカイン州で激化する暴力を恐れ、家を捨て、7日間裸足で歩き続けてバングラデシュに到着しました。疲れ果て、空腹で、喉はカラカラでした。
「ミャンマー軍が何戸もの家を焼き払い、人々を連れ去るところや殺害する場面を目の当たりにしました。私たちは助かりたい一心でバングラデシュへと逃げてきたのです」と17歳のセヌは話します。「持っていた食糧は2日で底をつきました。それから4、5日は口にするものもなく、用水路の水を飲んでしのぎました。とりわけ父がかなり年をとっていて、私たち4人姉妹を守ってくれる男の家族が他にいないため、夜は森の中で休み、軍に見つかるのではないかという不安にいつも怯えていました」。
「バングラデシュに入ると、地元の村の人たちが食べものをくれました。そして私たちは、すでに避難しているロヒンギャにならって、キャンプに入ったのです」。

コックスバザールのバルカリにあるロヒンギャの仮設キャンプでは、家を焼かれた話や子どもがいなくなった話をよく聞きます。ロヒンギャの女性たちは夫が殺されたことやレイプのことを打ち明け、人間に失望していると語ります。

「ミャンマーでは、軍が私の兄を拉致し、夫を殴打しました。兄は今でも行方不明です。私の一族の多く、特に少女が軍に連れ去られ殺されました。私の村では10から12の家族が一緒に逃げました」と22歳のノア・ナハは言います。
「私たちは川のほとりに16日間留まりました。渡し船に乗るお金がなかったのです。その場しのぎの小屋を作り、近くの村の人気のない家から食べものを集めました。家の中や道端に、死体がいくつも転がっていました。私たちを不憫に思った船頭さんが、ついには船を出して川を渡らせてくれたのです。あの恐ろしい日々は二度と思い出したくもありません」。

バングラデシュは、およそ30年にわたりミャンマーからロヒンギャ難民を受け入れています。2017年8月以降、約69万3千人のロヒンギャ難民が悲惨な状態でコックスバザールに避難しています。その51%は女性です。バングラデシュに居留する難民の数は倍以上に膨れあがり、キャンプは過密化する中、生きていくための最低限のニーズは切迫している上に膨大で、物資はほとんどありません。

ロヒンギャ難民の流入が始まって以来、たくさんの人道支援組織が、石鹸、衣服、スカーフ、生理用品や懐中電灯など、女性向けの生活必需品をひとまとめにした「ディグニティ(女性の尊厳)・キット」と呼ばれるセットを配布しようと懸命の努力を続けています。ところが、流入してくる難民の数が膨大なため、ディグニティ・キットがまったく足りていませんでした。
そこで、UN Women、バングラデシュ女性児童省、アクションエイド・バングラデシュは、冬の間、優先対象の女性や少女、特別なニーズを持つ人のいる家庭、約8,000戸にディグニティ・キットを配布しました。

現在、UN Womenの支援によってキャンプ内に設けられた多目的女性センターでは、最も立場が弱く、社会から取り残された女性や少女、特に世帯主の女性や高齢女性、思春期の少女へのサポートを行っています。

女性が外を歩くことができるかどうかは、キャンプ内において考えなければならない重要な要素です。伝統的な慣習として、ロヒンギャの女性は自宅やシェルターから外に出る際、ブルカを着用することになっています。キャンプでは、公の場に出る時に、女性たちの間でブルカを貸し借りすることがよくあります。シェルターから少し外に出るだけなのに、近所の人からブルカを借りる順番を待たなければならない人もいるのです。

毎日、約70人の女性や少女が、心理社会支援の案内紹介などのサービスや、栄養、健康、衛生に関する学びを求めてセンターにやってきます。センターでは、身近なパートナーによる暴力、性的搾取や虐待の防止、児童婚や人身売買に対する意識向上にも取り組んでいます。

女性たちはセンターの入浴スペースや洗濯施設を利用できます。女性や少女にとって安全でプライベートな空間がほとんどないところでは、大切なサービスです。センターがなければ家にひきこもって孤立していた女性や少女に、くつろいだり、新しい技能を学んだり、他の女性たちと交流したりできる安全な場所を提供しています。

これまで、センターでは467人のロヒンギャの女性や思春期の少女が健康カウンセリングを受け、834人の女性が心理的応急処置を受けました。

多目的女性センターのアウトリーチワーカーであるアーイシャ・カトゥーンは、女性や少女の自宅を訪ねてセンターに来るよう勧めています。以前、センターに通って新しい技能を学びたいと思っている思春期の少女がいたのですが、彼女の父親は娘に外出を許可しませんでした。アーイシャは何とか父親にかけあい、彼女がセンターに行くことを承諾してもらいました。

アーイシャ自身も毎日、多目的女性センターに通って裁縫の練習をしています。

22歳のミナーラ・ベーグムも、多目的女性センターのアウトリーチワーカーの一人です。ミナーラは妊婦が配給場所に行くのを手伝い、援助物資を運んであげています。彼女は自分の意見を言えるようになり、今では、キャンプの日常運営にあたっている当局にロヒンギャ難民女性の問題を提起しています。

2018年3月の国際女性デーを祝し、女性や子どもたちは希望のメッセージで飾った凧をあげました。キャンプで暮らすロヒンギャの女性たちが自分たちで凧を作り、その上に望みや願いを書きました。

現在、30人の女性が地域のアウトリーチメンバーとしてセンターに雇用されています。

「この危機的状況を乗り越えるには、女性たちが互いに支え合わなければなりません」と、ノア・ナハは言います。「新しく来た女性たちが(このセンターで)サポートを受ければ、互いに支い合えるようになります」。
「この先どうなるのかはわかりません…でも、子どもたちのためにより良い未来を望んでいます。平和に暮らしたいのです」。

写真:UN Women/アリソン・ジョイス
UN Women Asia and the Pacific Newsletter April-August 2018より
(翻訳:本多千代美)

カテゴリ: ニュース , 国連ウィメン日本協会

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